片足鳥居

長崎さるく博ツアー第2弾、片足鳥居に行ってみた。写真を撮るだけと軽い気持ちで立ち寄ったのだが、そこにはひとりのおじいさんが待ち受けていて、いろんな昔話をしてくれた。

鳥居の柱に刻まれているたくさんの名前は裏半分はハッキリと読むことができるが、表半分は色が抜けてほとんど読むことができない。これは、原爆の光を浴びて消えてしまったのだそうだ。

半分だけ残っている鳥居の上にのっているカサだが、これは本来の向きから奥にズレている。言われて初めて気付いたのだが、もう片方の柱の跡に立ってみると、確かにズレている。これは、原爆の爆風によってズレてしまったのだそうだ。

他にも伝えることはいくらでもあるとばかりに話すおじいさんだったが、しばらくすると、さるく博のツアーガイドが観光客を引き連れてやってきた。おじいさんは、その様子を見て、「あんな若いもんじゃ、ほんとの悲惨さは伝えられんよ。人から聞きかじっただけで、自分じゃ体験していなんじゃからのう」と言っていた。

おじいさんは、市や県から派遣されている観光ガイドでもなんでもなく、ただ鳥居のそばに被爆当時から住んでいる住人だったのだ。原爆を風化させてはいけない、後世に伝えたいという思いから、道行く人に声をかけて話しているようだ。おじいさんは、おせっかいをしてすまんかったと言ってたが、とても参考になった。やはり自分で体験した人の言葉は、説得力が違う。

観光ガイドが来たところで、おじいさんはお役御免とばかりに、それじゃと手をあげ、家に帰っていった。

おじいさんは10歳の頃に被爆したそうだ。当時、このあたりは住宅地で木造の家がたくさんあったらしく、あちこちで燃え上がり、火の海だったそうだ。鳥居の片足が自宅の門の前に倒れ、家に入れなかったという。そんな凄まじい光景を目の当たりにして、そのショックを背負ったまま、この60年を生きてきたのだから、大変な人生だったろうと思う。

私に何ができるというわけでもないが、そういう出来事が昔この長崎で起き、その出来事を背負って生きている人がいるということを覚えておきたいと思う。